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(元記事: daekiri (springdawnから))

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yatchu:

(via キラ速-KIRA☆SOKU- 萌え死にそうになる画像貼っていけ part2)
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描きたかった
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"この時期の夜の住宅街は、
夏のあいだ窓を開けっ放しにしていた人たちが閉め始めるタイミングなので
ことさら静かに感じられる"

自分が書かなければおそらく誰かが書く日記 (via trss)

(元記事: shikakun (vevevから))

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kininaruarekore:

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"ある博士が鳴り物入りで、ある特別な機械を街頭に設置した。
郵便ポストほどの大きさで、真ん中に大きなボタンと、脇から1本のロボットアーム。
好奇心に駆られた人がボタンを押すと、アームが伸びてボタンを元に戻す。
それだけの機械。でもなんとなく、見かけるとそれを押してしまう。
やがて最終戦争が起きて、人類は滅びた。頑丈に作られていた機械は
壊れもせず、ボタンが押されるのをただ待っていた。
そして1000年間ボタンが押されなかったことを確認したその機械は、
初めて本来の動作を始めた。それは、人類に向けた鎮魂歌を流すことだった。"

http://blog.livedoor.jp/bad_story/archives/185498.html (via bgnori)

星新一

(via tamejirou)

(hepton-rkから)

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駿河湾。


日本が世界に誇るべき日本人としての感覚というものがある。



謙虚さとか。

礼儀正しさとか。

勤勉さとか。


そういうのもあるけど。

僕がここで言いたい日本人感覚とはちょっと違う。



日本には美しい四季がある。

四季折々には伝統的な催事もある。

花見とか。

花火とか。


そういうのもあるけど

僕がここで言いたい日本人感覚とはちょっと違う。



花見や花火のときには『場所取り』という風習があるのをご存知だろうか。

日本では昔から希少な領土を争って戦をする文化があり

現代でも都心の不動産にとてつもない価格をつける習わしがある。


そういうのもあるけど

僕がここで言いたい日本人感覚とはちょっと違う。



花見や花火の場所取りにはレジャーシートやガムテープなどが使用されるのが一般的だ。

各自が思い思いの土地範囲に印を付け

自分のエリアであることを主張する。

そのガムテームが何を意味するか

ルール化されているわけでもないのに

また物理的な障害は何も存在しないのに

各々は暗黙の了解で他人の領域に足を踏み入れないように配慮する。


コレだ。


コレは外国人には解らない感覚だと思う。



例えば、お洒落な和風居酒屋に行ったときなどに入り口で


『あれ?ここって土足で入っていいのかな?』


と変な戸惑いを感じた経験はないだろうか?


コレだ。


コレは外国人には解らない感覚だと思う。



すなわち、結界。


日本の神社には

鳥居があったり

しめ縄があったり

境内に段差があったり

神様の世界と人間の世界の境界線を示すための工夫がされている。


日本建築にも

『いけがき』

『ふすま』

『しょうじ』

『ついたて』

『えんがわ』

『とこのま』

のような、空間を物理的に断絶することなく

やわらかく仕切る技法が数多く取り入れられている。


僕たち日本人は無意識にこれらを知覚することができる。




結界とはバリアではない。

バリア(barrier)の語源は棒(bar)で作った柵(ary)であり

物理的な障壁を示す。


日本の結界とは

店の入口にある”のれん”であったり、

神社にあるイナズマのような形の白い紙がくっついたワラのヒモであったり

もっとやわらかいもの。


日本人はそんなやわらかいもので

強い禁足領域を演出する。


文字通り『縄張り』だ。



こういった感覚をほとんどの日本人が無意識に持っている。

特別意識されることなく日本人の文化に自然に溶け込んでいる。


『正月になんとなく神社に詣でる感覚』


『神仏を粗末に扱ったときになんとなくバチが当たるという畏怖感覚』


『他人の使った箸がなんとなく嫌だという穢れの感覚』


ここでいう日本人とは、血脈という意味での日本人ではない。

日本に生まれて日本で育った人であれば

その風土から

建造物から

風習から

自然と身に付く感覚。


国はただの箱に過ぎないし

遺伝子が伝搬できる情報量は無限ではない。


その国に住み着いた人々が様々な方法で文化を継承し

脈々と伝えてきた感覚こそ他国に誇るべき感覚ではないだろうか

と僕は思う。


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とてつもなく美しい日の本に生まれて - はじめに閲覧されるべきもの (via readme1st)

(readme1stから)

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"少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。"

伊丹万作『戦争責任者の問題』(青空文庫)

1946年に書かれたもの。

(via h-yamaguchi)

(flatmountainから)

Quote
"『がんばっていきまっしょい』、『ウォーターボーイズ』、『スイングガール』と続くこの「(あまり才能がない)ふつうの子たちが、いい先生(実はあまり才能がない)に出会い、仲間と友情を深め、ブレークスルーを経験する」という物語群はいずれも教育というものの本質を鋭く衝いている。
教育とは煎じ詰めれば「そういうこと」だからである。
才能なんて、教える側にも教わる側にも、誰にもなくても大丈夫なのである。
それでも手順さえ間違えなければ才能はちゃんと開花する。"

引越直前どたばたデイズ (内田樹の研究室)

(hepton-rkから)

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「公共の場所を自分の家と勘違いしてるんじゃないか?」

違う。勘違いしているのはあなたたちなのだ。

公共空間はあなたの家ではない。だからこそ、多様な他者との出会いがあり、その中にはあなたを不快にさせる人もいるのだ。

公共空間にプライベートの延長を持ち込むことが「マナー違反」なら、あなたもまた重大なマナー違反を冒しているのだ。

だから「家でやろう」とのコピーに感心するなら、あなたもまた家にいる。

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家でやろう - planet カラダン (via hisaruki) (via proto-jp, zukke) (via gkojay) (via tra249) (via solum13) (via ibi-s) (via hisame) (via jyouhoutan) (via hepton-rk)